大義名分
 世の中の給料日前って時期なんかに銀行に行くと、ATMには長蛇の列ができている。預金を引き出す僅か30秒ほどの為に30分くらい列ばないといけないこともあるけれど、待っているのは皆同じこと、仕方なしとして列んでいる。…が、皆が少なからずイライラしながら待っている先頭で、20件も30件も振込み操作をしている人って一体どんな図太い神経をしているんだろう?と思う。ATMの操作音が繰り返される度に、後ろに列んでいる人達のイライラが増して、中にはあからさまに咳払いや舌打ちをするオジサンなんかもいる中、延々と淡々と操作は続きます。

 きっと人間一個人なら、こんなに図太く無神経ではないはず…。もっと思慮深くて礼節を弁える。…そう信じている。当然、後ろの人達に迷惑をかけていることもわかるだろうし、申し訳ないとも思うだろう。何かがこの人の目と耳を塞いでいる。それはきっと『会社の仕事で仕方なくやっている』といったような、自分に責任はないという『大義名分』だと思う。他人から見れば、ただただ迷惑なだけで、何の『大義名分』にもならないことだけど、その人にとっては立派な責任逃れの『大義名分』なのだろう。

 大小併せて、世の中にはこんな責任逃れの『大義名分』が溢れていると思う。仕事の話だからって、電車内で平気で電話をしたり、接待に使うお店の店員さんに横柄な態度をとったり…。子連れだからって、満員のエレベーターに無理矢理ベビーカーを押し込んで来たり…。挙げればキリがないほど。モンスターペアレントなんてのもその部類か。また、自分を顧みても、人を待たせているからと少々乱暴な運転をしていたり、他にも思い当たり反省しなければならないことが多々ある。

 責任逃れの先が、自分ではない誰か、子供や家族、仕事、取引先やお客様、会社や組織、国や政治、果ては思想、宗教、正義や倫理なんて曖昧なものになって行けば行くほど、責任の所在も曖昧になって、個人の思慮や礼節は薄れていくように思う。戦争なんてその最たるもの。『自分の為ではなく、何かの為にやっている。だから自分は悪くない』っていう『大義名分』が人を醜くしてしまうのかも知れない。『大義名分』言葉としては良い響きだけれど、一度、人間一個人に立ち返って疑うことができたら、もう少し良い世の中になるんじゃないかな?…と思うのです。

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by ajicoba | 2011-07-15 19:32 | エッセイ
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