カテゴリ:エッセイ( 58 )
セルフ給油の違和感
 セルフ給油のガソリンスタンドがすっかり定着してきた感じですね。消費者としても、給油のやり方にさえ慣れてしまえば、何ら困ることはないし、サービスをシンプルにして価格を抑えてくれるのなら、財布にもありがたい。まぁ、何かのトラブルがあったときの為に、建物の中に一人は店員さんが常駐していて、インターホンで呼んだら出て来てくれるってことで、対応としては充分なんだけど、そうはいかないのが日本人のサービス過剰なところと言うか、几帳面なところと言うか…。「お客さまに『いらっしゃいませ』も言わないなんて申し訳ない」って思っちゃうんでしょうかね? 大抵のスタンドでは数人の店員さんが、元気良くお出迎えしてくれます。中には、車のすぐ近くまでやって来て、ニコニコしながら給油の様子を温かく見守ってくれる店員さんや、「給油の間だけ、お得なカードのご紹介をさせていただいても良いでしょうか?」と、給油してる横で延々とカードの説明をしてくれる店員さん。車の側で、何だかよくわからないキャンペーンの旗を一生懸命に振り続けてくれる店員さんや、謎のクジ引きボックスを持って、給油が終わるまでジッと待っていてくれる店員さん…。給油してくれたら良いんじゃないのッ?

 カンボジアの田舎道では、炎天下の元、ペットボトルに入ったガソリンを露店販売。日本じゃ考えられな〜い。でも、世間話などしながら、ちゃんと給油してくれます。考えようによっては、こちらのほうが健全なサービスなのかも知れないですね。
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by ajicoba | 2011-09-22 21:21 | エッセイ
そろそろ解禁?
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 慶弔事に出向く機会も多くなるお年頃。30代も半ばになると、TPOに合わせてそれなりの身だしなみってのが必要になってきます。若いから、流行っているからでは、もう済まされません。まぁ、男性の場合、スーツさえ着てしまえば、何とでも格好がつくんだけど、いつも悩むのがバッグの選び方。

 例えば結婚式に招待された場合、本当は手ぶらで出向ければ、一番楽なのかも知れないけれど、やっぱりそう言う訳にはいきません。財布に携帯電話、デジカメ、それにご祝儀だって持って行かないと…。それらをスーツのポケットに無理矢理に詰め込んで、パッツパツになっているのも何だか不細工だし、何より折れ曲がった裸の祝儀袋をポケットから引っ張り出してってのも、大人としては駄目な気がします。まぁ、大抵の式場ではクロークに荷物を預けるので、式場に着くまでは普段使っているようなバッグでも何でも良いと思うのですが、問題はその先。女性の場合は「ティッシュしか入んないんじゃないの?」ってような、小さなパーティバッグやクラッチバッグなんてお洒落なバッグがいくらでもあるんだけど、男性にはこれが無いんですよね…。結果、ポケットがパッツパツ…。やっぱりバッグが必要なんです。

 着席の披露宴なら、足元に荷物を置けるけれど、流行りのガーデンパーティとかになると、増々困りもの。式の間、ずっとショルダーバッグを下げているのも、式場の出入り業者みたいになっちゃうし、 アタッシュケースなんて、とてつもなくインチキ臭い。業者を通り越して、ご祝儀泥棒みたいになっちゃいます。ボストンバッグじゃ出張中みたいだし、スーツにリュックってのも何だかなぁ…。かと言って小さなトートバッグなんか持っていたら、OLさんのランチタイムみたいになっちゃうし、紙袋も貧乏臭い。結婚式にエコバッグって、エコの方向性が間違っている気がするし、スーツにウェストポーチじゃ、ちょっとギリギリな感じになっちゃいます…。ポシェットなんて完全にアウトです。

 そこで、行き当たるのがセカンドバッグ。オジサンアイテムの代表格って言われているけれど、やっぱりオジサン達が持ちたがるのには、それなりの理由があるんですよね。慶弔事だけじゃなく、ちょっと出掛けるときにも、セカンドバッグって確かに便利そうだなぁと思うんです。お洒落かどうかは別にして、オジサン達の嗜好は合理的でスマートだといつも思います。一時はオジサン専門の嗜みって言われてた、ゴルフや釣り、山登りにしても、いざ実際にやってみると、楽しいし奥が深い。そしてブームになりました。きっと、セカンドバッグもいざ使ってみたら、めちゃめちゃ便利に違いない。そろそろ世間的に解禁にならないかなぁ~? だってオジサン達は合理的でスマートなんだから。
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by ajicoba | 2011-09-16 19:57 | エッセイ
歴史
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 カンボジア・シェムリアップ、アンコール遺跡、過去の人達が残してくれた大きな遺産。この街の人々の多くは、その遺産のおかげで日々の糧を得ている。悲しい歴史、残酷な歴史もあったけれど、そこからしか繋がらない今がある。歴史があるから生きていける。日本だって同じ。先人が残してくれた遺産。伝統、文化、産業、技術。やっぱり歴史に生かされている。暗い時代を生きぬ抜いて、あらゆるものを残してくれた人達に感謝。
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by ajicoba | 2011-08-15 18:54 | エッセイ
言葉の壁
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 海外の航空会社の飛行機に乗ったとき、外国人のCAさんに「Would you like something to drink?」って聞かれると、大抵のときは「Coffee please.」って答えます。本当はコーヒーじゃなくて『アップルジュース』や『オレンジジュース』が飲みたい気持ちだってあるんだけど、決して頼むことはありません。だって『アッポォ~ル』や『オォ~レンジ』って言うのは、何だか妙にバカっぽくて、ものすごく恥ずかしいんだもの。隣の席に日本人が座っているときなんて特にダメです。何でもないような顔をしながらも、絶対に心の中で「こいつアッポォ~ルって言っちゃたよ」って思っているに違いありません。まして、その渾身の「アッポォ~ル」に「sorry?」なんて言われてしまった場合には、もう大惨事です。二度目の「アッポォ~ル」を繰り出す勇気なんて身体のどこにも残っていませんし、かと言ってそこで「Coffee please.」に切り替えても「こいつアッポォ~ルが通じないから、コーヒーにしちゃったよ」って思われてしまいます。ともすれば、その後の『Beef』『Chicken』『Fish』の発音にも悪い影響が出てくるし、どれだけ機内が寒くても、ブランケット無しで過ごすハメになりそうです。だから、いつも最初から無難にコーヒーを頼むようにしています。

 『Coffee』と『コーヒー』は結構かけ離れた発音なので、あまり抵抗がないのですが、英会話の例でよくある『バァナァナァ~』よろしく、日本語として親しまれた英単語、いわゆる日本語英語を発音するのって、どうしてこんなに恥ずかしいんでしょう? バイリンガルのタレントさんが日本語での会話中に、突然「マイコォ・ジャクスゥン」って言うのを聞いたときに、何だか妙にバカっぽくてインチキ臭い感じになるのと似ています。元来それがネイティブの正しい発音なのに、発音が良くなればなるほど、バカっぽくなって、しかもインチキ臭くなるなんて、日本語英語とは何とも恐ろしいものですね。英語を話すのには『リスニング』や『発音』『語彙力』ってのが、もちろん必要なんだけど、この日本語英語のバカっぽさ&インチキ臭さという壁を越える『勇気』も大いに必要だと思うのです。

 あるとき、機内でデザートにゼリーが配られた。隣の席に座っていた日本人のオジサンは、ちょうどそのとき眠っていたのでゼリーが配られなかったのだが、急に目を覚ますと、他の乗客がゼリーを食べているのに気付いた様子。慌ててCAさんを呼んで、「ジェリー、ジェリー、オォ~レンジジェリー」と言い出した。そんなことでCAさんを呼びつける勇気もすごいなと思ったけれど、『オォ~レンジジェリー』って躊躇なく言える勇気はもっとすごいと思った。ちなみに、僕たち他の乗客が食べていたのは『マンゴーゼリー』でした。
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by ajicoba | 2011-08-12 19:15 | エッセイ
フィルムカメラと想像力
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 旅行に久しぶりにフィルムカメラを持って行こうと思って、CONTAX T2を引っ張り出してきました。カメラの詳細やスペックは詳しい人に任せるとして、今となっては、フィルムカメラのこの違和感って何だろう? もうすっかりデジタルカメラに慣れてしまって、その場で撮れた画の確認ができないのってこんなにも不安だったのかと…。でも本来、写真を撮るとはそういうことだったんですよね。

 一緒に仕事をしていたカメラマンさんが言っていました。良い写真を撮る秘訣は「撮れろ!」と念じてシャッターを切ることだと。笑い話に聞こえるかも知れませんが、これって一番大事なことなんです。カメラマンさんは写真を撮る前に、どんな写真を撮りたいかを想像して頭の中で完成させてから、その画を撮るために必要なレンズや機材を選び、セッティングして、シャッターを切ります。つまり最初に撮りたい画『欲しい画』が頭にあるから「撮れろ!」って言葉が出てくるんですよね。カメラはあくまでも、頭の中の画を撮るための道具。デジカメになったからって、欲しい画の想像もなく「良い画が撮れないかな~?」と何十枚、何百枚と考えなくシャッターを切っているようでは順番が逆。カメラが撮ってくれた画を見て喜んでいるだけで、そこには想像力も何もない。『欲しい画』という答えがないんだから、いつまでたっても完成もない。どんなにカメラの性能が良くなっても、それではカメラに使われているのと同じこと。『撮ってみないとわからない』『見てみないとわからない』では話しにならないと。

 このことって、カメラマンさんだけじゃなく、モノを創る人間にとっては根幹に関わる大切なこと。いまやコンピューター技術の発達で、あらゆる分野のことが自由に手軽に事前可視化できるようになっています。デジタルカメラをはじめ、僕が生業としているデザインのDTPなんてのも、その最も代表的なもののひとつ。建築にしても音楽にしても。最近では実写映画の撮影でも、事前にCGを使ってカメラアングルやカット割りを確認する方法もあるとか。今後も増々いろんな方面に普及していくことでしょう。でも、どれだけ技術が進んでも『やってみないとわからない』『見てみないとわからない』ではやっぱり話しになりません。技術はあくまでも、想像をより忠実に具現化したり、事前に他者と正確に共有するための道具であって、技術が人間の想像力を超えることはない。人間が完成を想像しない限り、機械は答えを出してはくれないんですよね。

 部屋に花を飾ろうと思ったら、まずはどんな花が良いかを想像しないと。答えもなく花屋を探し回ったって、気に入る花なんて見つかりません。それと同じこと。何をするにも『やってみないとわからない』『見てみないとわからない』なんて言われたら、ジョン・レノンだって天国で泣いちゃうだろうさ。

 ではでは、明日から1週間、カンボジアに行ってきますが、やっぱり不安なのでデジカメも持って行きます…。
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by ajicoba | 2011-08-02 09:17 | エッセイ
大義名分
 世の中の給料日前って時期なんかに銀行に行くと、ATMには長蛇の列ができている。預金を引き出す僅か30秒ほどの為に30分くらい列ばないといけないこともあるけれど、待っているのは皆同じこと、仕方なしとして列んでいる。…が、皆が少なからずイライラしながら待っている先頭で、20件も30件も振込み操作をしている人って一体どんな図太い神経をしているんだろう?と思う。ATMの操作音が繰り返される度に、後ろに列んでいる人達のイライラが増して、中にはあからさまに咳払いや舌打ちをするオジサンなんかもいる中、延々と淡々と操作は続きます。

 きっと人間一個人なら、こんなに図太く無神経ではないはず…。もっと思慮深くて礼節を弁える。…そう信じている。当然、後ろの人達に迷惑をかけていることもわかるだろうし、申し訳ないとも思うだろう。何かがこの人の目と耳を塞いでいる。それはきっと『会社の仕事で仕方なくやっている』といったような、自分に責任はないという『大義名分』だと思う。他人から見れば、ただただ迷惑なだけで、何の『大義名分』にもならないことだけど、その人にとっては立派な責任逃れの『大義名分』なのだろう。

 大小併せて、世の中にはこんな責任逃れの『大義名分』が溢れていると思う。仕事の話だからって、電車内で平気で電話をしたり、接待に使うお店の店員さんに横柄な態度をとったり…。子連れだからって、満員のエレベーターに無理矢理ベビーカーを押し込んで来たり…。挙げればキリがないほど。モンスターペアレントなんてのもその部類か。また、自分を顧みても、人を待たせているからと少々乱暴な運転をしていたり、他にも思い当たり反省しなければならないことが多々ある。

 責任逃れの先が、自分ではない誰か、子供や家族、仕事、取引先やお客様、会社や組織、国や政治、果ては思想、宗教、正義や倫理なんて曖昧なものになって行けば行くほど、責任の所在も曖昧になって、個人の思慮や礼節は薄れていくように思う。戦争なんてその最たるもの。『自分の為ではなく、何かの為にやっている。だから自分は悪くない』っていう『大義名分』が人を醜くしてしまうのかも知れない。『大義名分』言葉としては良い響きだけれど、一度、人間一個人に立ち返って疑うことができたら、もう少し良い世の中になるんじゃないかな?…と思うのです。

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by ajicoba | 2011-07-15 19:32 | エッセイ
新習慣
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 いつの頃からか、小用を座ってする男性が増えていると聞くようになった。家庭のトイレがほぼ洋式になったことと、なるだけトイレを汚さないようにって事情で増えてきたんだろうこの習慣、最近では座らないと小用ができない男性も多いらしい。

 男子たる者、どこでも立って用を足すのが当たり前の時代に育った身としては、なんだか情けないような気がして敬遠していたのだが、新居に引っ越したのを機に、嫁さんからの強い命令もあって、座ってするようになった。物心が付いて以来30年余、当たり前に立って小用をしていた身としては、毎度毎度パンツを下ろすのは、少なからず面倒だし、嫁さんにキバを抜かれたような威厳なさもあったけれど、いざ身に付いてみるとなかなか良いもの。今となっては立ってするほうが少々不安になる。世の男性達もこうやって躾けられていくんだな…。

 けれど、この新習慣も人様の家にお邪魔したときなどには、少々悩みの種となる。立って用を足して、トイレを僅かでも汚してしまうのは、もちろん大変申し訳ない。訪ねてきたオッサンにトイレを汚されるなんて、もっての他だろう。かと言って、わざわざ小用の為だけに、オッサンに便座に座られるってのも如何なものか…?。家の人にしてみたらどうなんだろう? 「トイレを借りたいんですけど、座ったほうが良いですか?立ったほうがいいですか?」なんて聞くのも妙な話しだし、まぁ、大抵の場合は、せめてものお詫びとばかりに座った後の便座をペーパーできれいに拭いて出て来るのだが…。その辺り、各家庭によってハッキリと方針を示して欲しいものです。『立ち小便禁止!』、もしくは『わざわざ座るな!』ってな張り紙でもしといてくれたら、気兼ねなくトイレを借りられるんですけど…。
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by ajicoba | 2011-07-07 20:53 | エッセイ
Like a Rolling Stone
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 近所に保育園があって、その前の細い道をよく自転車で通ります。保育園の終わる時間には、ちびっ子とお迎えのお母様達とで、道がいっぱいになっていることも。だからそんなときは、ちびっ子達の動きに気をつけて、ゆっくりゆっくり通るんだけども…、お母様達、自転車を見るなり「○○ちゃん!危ない!」とか「○○ちゃん!轢かれるわよ!」とか何とか口々に言いながら、両腕で子供を庇ったり、抱き上げたり、中には、しゃがみ込んで子供を抱き寄せたり。って、わしゃ一体何だ? でっかい岩が転がって来た訳じゃあるまいし、戦車にだって人が乗ってて、脳ミソが付いてるわい。
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by ajicoba | 2008-11-08 02:57 | エッセイ
微妙なサービス
 コンビニで買物をすると、店員さんはレジ袋の持ち手の両端を摘んで、輪っか状にして「はい、どうぞ」ってな具合で品物を手渡してくれます。こちらが受け取りやすいようにと思ってのことなんだろうけど、あの輪っか状になった持ち手の何処をどう掴むべきか?いつも悩んでしまいます。輪っか状の上から果敢に掴みにかかるべきか?下から遠慮がちに輪っかに指を通すべきか?それとも横から?あんまり力強くグワシッって掴むのも、奪い取るみたいで感じが悪いだろうし、妙に店員さんの手と触れ合ってしまうのもどうか?と思うし、かと言って、あんまりフワッて掴みにかかると、こっちがまだちゃんと持ってない状態で店員さんが袋を離しやがって、落ちた品物を拾いながら「すみませんっ」「ごめんなさいっ」「すみませんっ」「ごめんなさいっ」って、何だか良くわからない言い合いに…。結局のところ、レジ袋の持ち手をこっち側に向けて、そっと置いといてくれる店員さんが一番デキル奴な気がします。あと、ちょっと良い服屋さんで買物をすると、商品の入った紙袋を持って、わざわざカウンターのこっち側に出て来てくれたり、中には店の出口まで、店員さんが紙袋を持ってついて来て、そこで「はい、どうぞ」って渡されたりしますけど、あれって一体何の為のサービスなのさ!?
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by ajicoba | 2008-10-28 03:40 | エッセイ
地震・カミナリ・火事・○○
f0018077_14162859.jpg よく『人生で師と呼べる人に巡り逢うのは幸せなことだ』と言われますが、その点、僕はとっても幸せものです。世間で『師匠』というと、それはもう厳しくて、恐いイメージですが、僕の師匠もやっぱり、それはそれは、それはもう『師匠』です。僕の師匠というのは、以前に勤めていた出版制作会社で、僕の前任のデザイナーをされていた方。今は大阪でデザイン事務所をされています。僕がアシスタントに就いたのが、丁度、師匠がその出版制作会社を辞められる直前で、仕事の引き継ぎ期間(つまり僕の修行期間)が半年弱と短かかったこともあり、ヒヨッ子の僕を一人前にする為、努めて厳しくされていたのですが、そりゃもう恐かったのなんのって…。怒鳴り散らされて、会社近くの公園で泣いたこともあったっけなぁ。地震、カミナリ、火事、師匠。それ以来、僕の恐いものランキング72ヶ月連続ブッチギリでナンバーワン。この先も一生、ランク圏外に消えることはないでしょう。その分、感謝の気持ちもね。情にもろくて、温っかくって、でもやっぱり恐いんだなこれが。未だに仕事をお手伝いさせてもらったりすると、ガチガチ緊張しちゃいます。いつ張り倒されるんじゃないかと。あっ、言い忘れてました。師匠、女性なんですけどね…。

 まぁ、今ではデザインの師匠ってだけでなく、人生のお師匠さんでもあり「ママ」と呼ばせてもらってたりします。僕のことをボロカスに言ってくれる、ありがたい存在で、ちょっとでも僕が天狗になってたりすると、その鼻をボッキボキに折ってくれます。女の子とお付き合いするにしても「この子、ママに紹介しても大丈夫かな?」ってのが、親のことより先に頭に過ったりする訳で…。

 デザイン事務所を立ち上げて3ヶ月、おかげさまで、なかなかに順調な滑り出しです。独立し、一人で仕事を初めて「こんなんどう思う?」って訊けたり、「もうやってられへん!」なんてグチれる相手がいないのが、どんなに不安なことか知りました。ある意味とても孤独な戦いです。でも、一人でやってみてよく判ったことは、僕の仕事を、僕の存在を必要としてくれる人が少なからずいるってこと、そして、自分は周りのいろんな人達に生かされているんだってこと。本当にありがたいことです。感謝。
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by ajicoba | 2008-09-22 10:37 | エッセイ



アジコバの考える毎日
by ajicoba
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