カテゴリ:エッセイ( 58 )
よくわかる帝王学
 大学生の頃、とうてい自分の甲斐性では行けないような、高級料理店でバイトをしていた。大御所俳優や、お歴々が忍んで立ち寄るような店である。その店によく顔を出す親子連れがいた。どこかの社長か開業医か何かだろう、ブランドスーツで身を固めたご主人に、いかにもセレビアンな奥さん、そして小学2・3年生の少年。サスペンダーに半ズボン、白いハイソックス、いわゆる『鉄人28号』の正太郎少年である。まぁ、普段からそんな格好をした少年なのだから、まずタダモノではない。少年はオーダーをするとき、一切メニューすら見なければ、注文を聞いているこコチラの顔さえも見ない。食べたいメニューは全て頭に入っている。バイト君など相手にはしない。そして、ずっとマンガを読んでいる。マンガから一度たりとも目線を外すことなく、一品何千円という料理を次々とオーダーした後「ここまで全部2個ずつね。わかった?」などと言う。完全に世の中を舐めきった態度にカチコ〜ンとなりながらも、まぁ、所詮は小学生、マンガに夢中なんて可愛いものだ。「フンッ、やっぱり、ただのガキンチョだね」なんて悦に入ったのが、後に見事に裏切られる。

 少年が読んでいたマンガ『サラリーマン金太郎』
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by ajicoba | 2006-01-27 00:49 | エッセイ
大盛り
 つい言ってしまう。「唐揚げ弁当、ゴハン大盛りで」「ラーメンセット、ゴハン大盛りで」「カルビ、ユッケと、え〜、あとゴハン大盛りで」。いつまでこの「ゴハン大盛りで」を言い続けるのか、いや、言っても許されるのか心配で仕方がない。

 『ゴハン大盛り』は『学生』にこそ似合うものだ。よく通った定食屋の女将さんも、こちらが学生と知れば勝手にゴハンを大盛りにしてくれた。「お腹を空かせた学生さんにお腹一杯食べて欲しい」そんな優しさと「米食わしとけばいい」そんな適当さが溢れていた。『学生』→『貧乏』→『空腹』→『ゴハン大盛り』 いくら時代が変わろうが、この図式の中『お腹を空かせた学生さん』は美しい。ノスタルジックな青春の象徴。お金は無いが夢がある。唯一『貧乏』が肯定される存在。だからこそ世間様も寛容で、温かい応援の手を惜しまないのだ。

 だが、これが『社会人』→『貧乏』→『空腹』→『ゴハン大盛り』となると、どうやら別の話になってくる。『お腹を空かせた社会人』ちょっとまずいんじゃなかろうか?そこには気の毒さが滲み出るばかりだ。『お腹を空かせたお父さん』『お腹を空かせた義理の父親』『お腹を空かせたお爺ちゃん』『米食わしとけばいい』この先『ゴハン大盛り』は家族・親類をも巻き込んで、どんどんまずい方向へ向かって行く。
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by ajicoba | 2006-01-25 00:50 | エッセイ
模範解答
 小学2年生の頃、日記に「今日は何もありませんでした」と書いて、担任にこっぴどく怒られた。「子供の毎日に、何も無い一日など存在してはならない」そんな怒りっぷりだった。当時の日記の内容と言えば「体育の時間に野良犬が運動場に入って来た」とか「A君が鼻で縦笛を吹いて面白かった」とか、まぁそんなものだ。たまたまその日は野良犬も入って来なかったし、A君も家庭の事情か何かでテンションが低かった。だから「今日は何もありませんでした」と書いたのだろう。そう思う。取り立てて日記に書くほどのことが無いのに、無理から感受性のアンテナを張れるほど大人でもなかったし、「今日は息をして、瞬きをしました」と書くほど困った子供でもなかった。「真っ赤に染まった西の空に向かって、渡り鳥の群が飛んで行きました。もうすぐ秋も終わりだなぁ、お父さんがそう言うので、何だか切ない気持ちになりました」こんな日記を書く小学2年生のほうが、よっぽど気味が悪い。

 めずらしく早起き、溜まっていた仕事と部屋を片づけて、レンタルで映画も見たけれど、「今日は何もありませんでした」そんな一日が好きで仕方ない。
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by ajicoba | 2006-01-23 20:07 | エッセイ
プラスとマイナス
 実家に立ち寄ると、母に『無洗米』を勧められた。米ヌカをキレイサッパリ取ってあるから、ヌカ特有の臭みが無くって美味しいらしい。その足でスーパーへ向い、無洗米を購入して帰宅。早速、使ってみる。味は普通に美味しいといった感じだったが、味より何より『研がなくてもいい』そのことに感心させられた。他の台所仕事はお湯で出来ても、米を研ぐのだけは冷水でないとどうにもならない。冬のこの時期には本当に助かる訳で、少々値は張るものの、すっかり愛用するようになった。

 スーパーの特売日、コシヒカリを格安で購入。すっかり浮かれていた。米櫃の中でコシヒカリと無洗米を混ぜてしまう。以来、無洗米を洗う毎日。
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by ajicoba | 2006-01-21 00:19 | エッセイ
大人として
 年甲斐もなく仮面ライダーシリーズが楽しみの一つだ。最近の仮面ライダーは大変なことになっている。現在放送中の『仮面ライダー響鬼(ヒビキ)』は妖怪を退治する『鬼』の物語。このヒビキは改造人間でもなければ、変身ベルトもない。主に車で移動するので、もはやライダーでもない。鬼である。詳しいストーリーは書かないが、子供には勿体ないくらい面白い。日曜朝8時のオンタイムで見たいのだが、いかんせん夜型人間である。平日でさえ10時以前には目を覚まさないのに、日曜だけ8時に起きるのも、やっぱりどうかと思う。よって見逃すことが多い。そこでDVDをレンタルしてまで見るのだから、大人として少々困ったものである。

 先日、最新巻がレンタルリリースになっていた。早速パッケージを手に取って裏面など読んでいると、横で声がした。「ヒビキないぃぃ〜」。見ると、若いお母さんに連れられた男の子が半ベソをかいている。「ビビギだいぃぃ〜」今にも半ベソが本ベソになりそうな男の子に「はい、どうぞ」と手に持っていたDVDを渡してあげた。どうやら最後の一本だったようだ。「そんな、お気遣いなく。○○ちゃん、今度にしなさいね。えっ? ほんとにいいんですか? すみませ〜ん。○○ちゃん、ほらっ、ありがとうは?」と恐縮するお母さんに「大人として当然ですッ」と言わんばかりの笑顔で応え、その場を立ち去った。

 
 少年よ、母さん美人で、良かったね   アジコバ
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by ajicoba | 2006-01-17 06:17 | エッセイ
順番を間違える
 順番を間違えてはいけない。順番を間違えると人は、ひどい目に遭う。例えばこんな風にだ。もよおしてトイレに向かう。トイレのドアを開け、中に入りドアを閉める。便座が下がっていることを横目で確認しつつ、ベルトを緩めズボンとパンツを下ろしホッと一安心となる。まぁこれが一連の順番、常だ。…が順番を間違える。トイレのドアを開け、中に入りドアを閉める。トイレットペーパーが切れていることに気づき補充する。「仕事帰りにでも買い足しとかないと」などと考えつつ、ベルトを緩めズボンとパンツを下ろし便器に腰をガーン!となる。冷たい便器にスッポリはまって、何が起こったのか全くわからず、手足をパタパタしている下半身丸出しの大人、もうすぐ30歳。こんなにひどい目もそうそうないだろう。

 人は順番に支配されている。いつも利用するレンタルビデオ店のアルバイトA君などは、典型である。マニュアル化されたA君にとって接客対応の順番は絶対なのだ。

「いらっしゃいませ」「会員証をお願いします」「会員証のほうお返しします」「レンタル日数のほうは?」「○○○円になります」「○○○円からお預かりします」「○○○円のお返しになります」「○月○日迄のレンタルになります」「ありがとうございました」(まったくもってひどい日本語が並んだものだが、ここでは触れずにおく)

 これが毎度のA君の接客だ。もちろん感情など小指の爪の先ほどもこもっていない声音である。これ以外の言葉を話す、いや、発音するA君を見たことがなかった。あまりに無感情な接客に少しカチンときたので、意地悪半分で実験を試みることにした。借りたいDVDを3本と会員証、レンタル料金ちょうどのお金を一緒にカウンターのA君に渡し、同時に「一週間でお願いします」と言ってみた。「会員…しょう…証…レンタ…ル…四百…ひゃく…五…十円…」A君は声にならない声でしばらく口をモゴモゴさせた後、レンタルの手順を済まし、商品を手渡しながらこう言った「のした」

 ひどい、全く意味がわからない。何てことだろう。順番を間違えた人はこんなにもひどい目に遭うのか。順番を間違えたA君はパニックになったのだ。パニックになった脳で何とか、必死の思いで紡ぎ出した言葉、それが「のした」だったのだ。がんばった、よくがんばった、ただ全く意味がわからない。

 順番を間違えてはいけない。順番を間違えると人は、ひどい目に遭う。
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by ajicoba | 2006-01-07 04:05 | エッセイ
白く濁る
 教育テレビの理科系番組について、もう一つ気になることがある。「化学反応によって得られたこの気体、一体何でしょうか?」「う〜ん、何でしょう?」「じゃあ、この気体が何か調べる為に火をつけてみましょう」おいおい、ちょっと待ったほうが良いのではないか。落ち着いて考えろ。いきなり火をつけても大丈夫なのか?もし爆発性の高い気体や有毒なガスだったらどうする気なんだ? そりゃ先生にしてみたら、その気体は何の疑いようもなく水素なのだろうし、はじめから水素が発生する実験をしたのだろう。それはわかる。良くわかるのだが、どうにも腑に落ちない。「この気体が何か調べる為に石灰水を用意しました」…実験とはそういうことではない、そんな気がしてならないのだ。
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by ajicoba | 2005-12-29 04:12 | エッセイ
化学の反応
 夜中に放送している教育テレビ、中でも理科系の番組が好きだ。聞き手のお姉さんのハイテンションと、先生と呼ばれる人物の台詞棒読みが、独特のリズムを生み出し、いつもハラハラさせられる。
 『ハイテンションのお姉さんと真面目な先生』まさに黄金の化学反応である。お姉さんがボケる、先生は苦笑い。先生がボケてみる、お姉さんには理解不能。お姉さんがツッコム、先生はボケていない。民放では絶対に見ることの出来ない空回り、根が真面目だからこその面白さだ。他にこんな見方をしている視聴者がいるかどうかはわからないが、ハラハラしながらもお姉さんと同じ目線で、わかりやすく勉強できるのだから大したものだ。ふざけ過ぎず、堅過ぎず、実に良くできている。
 仮にこの化学反応が発見されておらず、真面目なお姉さんと真面目な先生だったらどうだろう。「では、この気体が何か調べる為に、火をつけてみましょう」「了解しました!」「安全確認!」「安全確認よーし!」「点火準備!」「点火準備よーし!」「点火1分前!」「59、58、57、56、55 …」15分番組がこれではいけない。逆に不真面目コンビが、くわえタバコで水素実験に挑む姿も色んな意味で教育上まずいんじゃなかろうか。お爺さんと先生「では、この気体が何か調べる為に、火をつけてみましょう」「パァン」「はい、爆発しましたね」「…」「…」「…え?」もしハイテンションのオカマ先生二人組だったりしたら、もう大変である。「この気体が何か調べる為に、火…」「パァン」「キャー、アンタ何で急に火つけんのよ!鼓膜破れたらどうしてくれんの、次、アンタやりなさいよ!」「嫌よ!何でやらなきゃなんないのよ!」「いいから早くアンタ、コレ持ち…」「パァン」何だかよくわらないことになる。
 
 『ハイテンションのお姉さんと真面目な先生』誰かは知らないがこの化学反応を発見した人は偉い。
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by ajicoba | 2005-12-27 01:49 | エッセイ
子供の遊び
 先日、知り合いの子に『なぞなぞ』を出された。「さしても、さしても痛くないモノな〜んだ?」まぁ子供の遊びだ。「う〜ん、何だろう?」などと悩んでいる振りをして、一頻りその子を楽しませた後、自信満々で答えた「指!」「ブ〜ブッブッブッブ〜!」鬼の首でも取ったかのように、きゃっきゃと騒ぐ子。「答えは傘でした〜!」…なるほどなと思いながらも、「指差しても痛くないやん」と反論してみるが「指刺さったら痛いやん」と一蹴されてしまった。今になって思う、傘刺さったらもっと痛いやん。
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by ajicoba | 2005-12-25 08:58 | エッセイ
小鳥が出ますよ
 「すみません、ちょっとシャッター押してもらえませんか?」遭遇率が異常に高い。つまり「やたらと記念写真を頼まれる人」である。もちろん『池中玄太80キロ』のような風体で歩いているわけではないし、西田敏行にも似ていない。理由はわからないが、いわゆる観光地・名所と呼ばれる場所を訪れると、大抵1回は声をかけられる。一所で8回声をかけられたことだってある。「お店に入ると急に客が増える人」や「めったにティッシュを貰えない人」と同じように、何かのオーラ?があるのかも知れない。

 どんなことであれ、頼りにされて悪い気はしないし「ありがとう」と感謝されれば、素直に嬉しいものである。喜んでシャッターを押そう。ただ、シャッターを押すときには何らかの合図を出さねばならない風潮がある。それが困りものだ。旅先での出来事なのだから、「パシャリ」「さようなら」で済むのかも知れない。しかし、それでは「やたらと記念写真を頼まれる人」失格である。

 写真を撮るときの合図で、最も一般的なのは「はいっ、チーズ」だろう。だが見ず知らずの人の前で「はいっ、チーズ!」と声を張ることには、どうにも耐え難い抵抗がある。大の大人を一瞬にして馬鹿に変えてしまう、あの妙な抑揚とリズムは何だろう。「はいっ、チーズ!」「コマァ〜シャル」「僕マイッケル!」どれも大差無いではないか。だからって「イチたすイチは〜?」も、かなりの勇気が必要だ。誰も「にィ〜」と言ってくれなかった場合、目も当てられない惨事となる。ちなみに、韓国では「キムチ」と言うらしいが、前置きも無く「キムチィ!」と言ったところで困ったことになってしまうし「ウィスキー」と言う国もあるようだが、やはり同じことだ。

 聞くところによると「ちぃ」の発音をしたときの口の形が、自然な笑顔に一番近いらしい。だとすれば何も「チーズ」でなくても良い。必要なのは「ちぃ」だ。もっと良い言葉はないものだろうか?「ちぃ」「ちぃちぃ」「ちぃちぃ!」…出て来てしまったが、やっぱり「地井武男」ではまずい。「ちぃたけおォ〜」全員が「おォ〜」の顔をした、よくわからない記念写真が目に浮かぶ。ならば「ちっちきちぃ〜」はどうか?「ちぃ」がこれだけ並べば、間違いなく笑顔はバッチリだ。バッチリ笑顔で全員が親指を立てた記念写真が出来上がる。被写体にもよるが、やはりこれも考えものだ。十数人のオバサマ達全員が満面の笑みで親指を立てている写真など不気味で仕方ない。ロケーションが種子島宇宙センターだったりしたら、もう婦人会だかアルマゲドンだか、何だかわからないことになる。結局いつも「はい、撮りまぁ〜す」と軽く宣言した後、無難に無難にシャッターを切るようにしている。

 最近はデジタルカメラが多い。「やたらと記念写真を頼まれる人」にとってデジカメは相当な困りものだ。文明の利器を恨めしく思う。なぜなら、ズバリすぐ見られるから。「いや、かなんわ、わたし目ぇ瞑ってしもてるわぁ、お兄ちゃんもう一枚」ってことになる。トリミングがまずかったり手ブレをしていたなら、こちらも素直に否を認める。が、表情、シワ、顔色までは知ったことではない。「やたらと記念写真を頼まれる人」はあくまでも「やたらと記念写真を頼まれる人」であってプロではないのだ。まして十数人のオバサマ達全員が揃いも揃って人生のベストスマイルになる確率など、頭に隕石が落ちる確率よりも低い。池中玄太80キロでも180キロでも出来ないものは出来ない相談である。

 「すみません、ちょっとシャッター押してもらえませんか?」声を掛けたときに、何故その人なのかを考えてみて欲しい。「近くにいた」「声を掛けやすかった」「優しそうだった」など色々と思い当たる理由があるだろう。しかし、そんなものは結果に過ぎない。全ては、その人が「やたらと記念写真を頼まれる人」だからである。
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by ajicoba | 2005-12-23 05:33 | エッセイ



アジコバの考える毎日
by ajicoba
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