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痛いときにはタップする
 歯医者で手を挙げたことがない。正確に言うと挙げられない。「痛かったら手を挙げて下さい」と言われ、手を挙げたら「我慢して下さい」ってオチになるのが、よくある面白話だが、未だに経験できないままでいる。一度くらいはビシッと手を挙げ「我慢して下さい」って見事にオチてやろうと、ドリルの音が響く中、準備を整え「痛ッ」とくるタイミングを計るのだが、どうにも挙げられない。

 考えるに『痛い』という感覚と『手を挙げる』という行為は、全く結びつかないんじゃなかろうか。自動車を運転中、本当に危ないってときにはクラクションを鳴らせないのと同じことで、本当に痛いときは手なんか挙げている場合ではない。では本当に痛いとき人は何をするのか?

 たまに腰痛を患うため接骨院の世話になるのだが、いつも行く院の先生は少々強引な施術をする。元来身体が硬い上、デスクワークで凝り固まった筋肉をグイィィィっと伸ばされ、ゴリゴリッと曲げられる。レスラーも真っ青の体格から繰り出される関節技に、当然ながらじっと耐えられる訳がないのだが、振り解いて逃げられるような力でもない。危うく気が遠くなりそうになる中、何をしたか。それは『タップ』だった。自分でも驚いた。格闘技経験など全く無い人間がタップしたのである。いつもテレビで格闘技を見ている影響かとも考えたが、どうやらそれが答えでもなさそうだ。見れば横で似たような施術を受けるオバサマも…耐えて…耐えて…タップした!

 どうやらタップは人間の本能的な行動に近いようだ。本当に痛いとき人はタップする。手なんか絶対に挙げない。ひょっとして歯医者はそれを重々承知で「痛かったら手を挙げて下さいね」などと言っているのではなかろうか?「痛かったらタップして下さい」なんて正直に言ったら、ぜ〜んぜん仕事にならないから。
# by ajicoba | 2005-12-13 20:06
スポーツマンになる朝ぼらけ 最終話
 こうなると後はもろいものだ。導かれるようにTシャツに着替え、誘導されるように近所を走ってみる。当然、激しく疲れるが「靴が悪いな」などと、あらぬ方向へ考えが向く。次の日、スポーツ店へと赴きジョギングシューズを眺める。「どうせだったらすぐに止めてしまわないよう、いいのを買う」もう考えは修正のできない方向へ向いたようだ。しかも、その金額の計上は「タバコ止めたら月に幾ら節約できるから」で弾き出された。
【決心】侵略が完了した瞬間だった。

 タバコを止め、馬鹿っぽく走り、馬鹿っぽくプールで泳ぐ。日々健康である。
# by ajicoba | 2005-12-13 01:28 | エッセイ
スポーツマンになる朝ぼらけ 第三話
 侵略は止まることを知らない。いつもどおり近所のコンビニに缶コーヒーとパンとタバコを買いに向かった。例のスポーツマンの家の前を通る。何げなくベランダを見上げると…ジャージである。ジャージが干してある。ナイキなどではない。『CAMPION』…奴は本気だ。ジャージはいけない。スポーツマンを象徴するアイテム。侵略によりパブロフの犬化させられた僕に成す術は無い。その結果「ちょっとコンビニまでタバコを買いに…」の道中で、あろうことか「ちょっとコンビニまで走ってみようか」などと馬鹿な考えを起こしてしまうことになる。高校卒業以来、まともな運動などしていない身体、頭が「走れ」と命じたところで走れるわけがない。走り方を忘れた身体、息があがる。「…このままではいけない」。
【自省】侵略が最終段階に達した瞬間だった。
# by ajicoba | 2005-12-12 20:08 | エッセイ
スポーツマンになる朝ぼらけ 第二話
 文化系には頭脳こそが全てである。『不健康』『虚弱』『早死に』という大きなリスクを冒しながら、日々頭脳を鍛え上げ研ぎ澄ます。それこそが文化系のロッケンロール。元気ハツラツなロッケンロールなど存在しえない。市民マラソンを走りきる体力など無くとも、日々の筋トレで手に入れた筋力など無くとも、この世界は動かせる。先人のロッケンローラー達は見事にそれを証明して見せてくれた。そして、それこそが文明社会の先端を行くことであり文化系のイデオロギー、生きる理由である。体力や筋力の先に『明るい未来』があるなどと鼻から信じてはいない。しかし、スポーツマンの侵略を受け始めた僕はふと疑う「信じないようにしているだけじゃないのか?」。仕事中、スポーツジムのサイトを検索し「会員…高いな」などと言ってみたりする。
【懐疑】侵略は着実に進んでいる。
# by ajicoba | 2005-12-12 00:59 | エッセイ
スポーツマンになる朝ぼらけ 第一話
 スポーツカー、スポーツ刈り、スポーツ麻雀、スポーツブラなどなど、冠するだけであらゆる物をたちまち爽やかで小っ恥ずかしい存在にしてしまう言葉『スポーツ』。くわえタバコでパソコンの前に座り続ける文化系の僕などに冠すると、存在そのものが危ぶまれるほど恐ろしく毒な言葉である。とりわけ『スポーツマン』となると質が悪い。アスリートとは全くの別物であり『記録』ではなく『健康』こそを至上とする人々である。何より馬鹿っぽくていけない。しかも、スポーツマンは文化系を決め込む人間の心を恐ろしく巧妙な情報戦で侵略してくる。爽やかに、そして着実に。

 徹夜明けの早朝、燃えるゴミを出す僕の前を近所に住むスポーツマンが走り過ぎる。朝冷えの空気にシャカシャカとウィンドブレーカー、首には白いタオル、「おはようございまッス」まッス…もはや健康至上主義のプロパガンダである。「おはようござ…」送り返す声に乗せて目線を合わそうしたが、もうスポーツマンは後ろ姿。何も無かったように部屋へ戻りタバコに火を…と同時によぎる思い「禁煙しようかな」。結局いつもどおり火をつけたものの、徹夜仕事ハネのタバコという至福のひとときを100%で楽しむことができない。部屋の空間を埋めていく煙が恐ろしく醜悪な存在に思える。『不健康』『虚弱』『早死に』…クソッ何故こんなことを考えなくてはならないのか? 実に不愉快だ。ちょっとだけタバコを浅く吸うようにしてみたりする。
【意識】侵略が始まった瞬間だった。
# by ajicoba | 2005-12-11 07:57 | エッセイ



アジコバの考える毎日
by ajicoba
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